一般的に温泉宿の宿泊料金は、1泊2食でいくら・・・と明記されている。
それは、料理や客室、温泉などの施設利用料が含んでいるもので成り立っている。
いわゆる、ハード面での料金。
でも、私がプライベートで行く温泉宿は、そういった概念で、宿選びはしなくなった。
特に、50近い歳になった最近は、特にそうなった。
若いときは、全然気にしなかった。
そんなもの、いくらでもあると思っていた。
お金はないけど、それだけはあると思っていたもの。
それは「時間」。
今年の夏に、体調を崩してから、なおさら思うようになった。
「時間」というものは、限りがあるのだという事が。
旅をするという事は、時間を費やすことでもある。
それが楽しい時間であるから、人は旅に出る。
忙しく働いた自分に、ご褒美ということで、旅行する人も多いだろう。
宿泊料金とは、いかに自分にとって楽しく時を過ごせるかで、決まるものだと思う。
言わば「時間をお金で買う」ようなものかもしれない。
人によっては、贅沢な家具調度品に囲まれた広い客室で過ごすことかもしれないし、絶景のロケーションに建つ宿の部屋かもしれないし、何もない、ただ自然に囲まれ、豊かな温泉だけがある宿の部屋かもしれない。
そこで過ごす時間、費やす時間が、それぞれの人によって、今「一番過ごしたい時間」であれば、それ以上の贅沢はない。
日常の時間と、旅先の時間は、まったく感覚が違う。
日常と、非日常との時間の違いと言ってもいい。
時の流れの感覚が、違って感じるのだ。
「時間の過ごし方」で、宿選び、宿探しをする。
それは、非常に難しいことだ。
特に旅行経験の薄い、若い人たちにとっては。
若い人たちは、休みが3日とれて2泊する場合、違う宿を探すことが多い。
ところが、60過ぎの旅行熟練者の諸先輩は、同じ宿に2泊する場合が多い。
そして、定宿を持っている方が多い。
好奇心や、物欲的なものを、通り越して、本当に「楽しい時間の過ごし方」を知っているからなのだろうか。
ただ、単に体力が落ちているからなのだろうか。
でも、言えることは、だれでも旅をする時は、今一番「いい時間」を過ごしたいはず。
「時間」というものは、まさに、かけがえのない存在なのだ。
宿を探す際、その施設に何があるか、何が食べられるか、だけでなく、「どんな時間を過ごせるか」を想像することは、決して無駄ではないし、必要な事だと私は思う。
「楽しい時間」は、いつか「思い出」となり、自分だけの「心のアルバム」に格納されるから。