最近、お世話になった温泉旅館の女将さんが亡くなった。
週末に会社にFAXが流れていたみたいだが、気が付いたのは月曜日の朝。
私は仕事の予定をキャンセルして、慌てて新幹線に乗り込んだが、着いた時間は夜の9時をまわっていた。
宿の方に、女将の顔を見てやってくださいと促された。
女将は歳も70を超えていたが、まだまだ元気な姿を見せてくれていたので、実感はなかったが、その穏やかな目をつむった安らかなお顔を拝見して、現実を思い知るしかなかった。
思えば、その女将さんとは、私の母と歳も近いせいか、実の母のように、ざっくばらんと話をしていたように思う。
仕事の話をしていても、いつのまにか、別の話に脱線していた事もしばしば。
いつも笑顔の絶えない、優しい方だった。
そんな女将が、愛してやまなかったのは、やはり温泉だった。
「源泉かけ流し」にこだわり、宿に数ヵ所ある湯舟を、数時間おきに湯守に温度チェックをさせ、常に湯加減に気を配った。
同じように、女将さんが生前、気を使っていたのは、温泉の衛生面だった。
ここで言う「かけ流し」とは、循環ろ過をして塩素消毒をするのではなく、源泉をそのまま、湯舟に流し、その湯量によって温度調節をし、湯舟から湯が溢れ出る事により、常に新鮮な温泉が注がれていくという意味である。
ここで心配なのは、レジオネラ菌の存在。
いくら、新鮮できれいな源泉が注がれていても、お客がカラダを洗わず、もしくは簡単に下半身にちょっとお湯をかけるだけで湯舟に入られたら、それは「源泉かけ流し」の最大の敵なのだ。
よく大きな温泉ホテルや旅館で見かける、英訳の付いた温泉の入り方マナーのポスターでも、かけ湯の事は書いてあるが、最初に、石鹸でカラダを洗うとは書いていない。
ちょっとだけ掛け湯して入りなさいとあって、その後に湯舟に入って、それから石鹸で洗いなさいとあった。
最初にそのポスターを見たときに、愕然とした事を覚えている。
しかし、そのポスターは、よく考えたら、循環ろ過をしている施設向けだったのかもしれない。
私の知る限り、全国の温泉宿の中で、完全な源泉かけ流しの宿は、実は1割にも満たないからだ。
私は、源泉かけ流し絶対論者ではない。
不特定多数の方が入る大浴場では、すべての方が、カラダをよく洗ってはいる事を守ってくれるとは思わないから、塩素消毒の循環ろ過風呂も、存在価値があると分かっている。
外気温によって湯温の調節が難しい露天風呂などは、温泉そのものを楽しむより、眺望と開放感を楽しむ要素が強ければ、湯温が一定に調節できる循環風呂の方が好ましい場合もある。
さて、女将さんの葬儀の前の晩、その宿に泊まらせてもらった。
いつもながら、女将さんの性格をそのまま泉質にしたような、優しく、包み込むような、本当に柔らかい温泉だった。
その感触に、その心地よさに、思わず女将さんを思い浮かべ、涙した。
湯舟を出て、脱衣所でカラダを拭いていると、女将直筆の温泉の注意書きらしきものが貼ってあった。
「手も、足も、おしりもきれいに洗って、ニコニコかけ流し」。
心から、源泉かけ流しの温泉を愛する方だった。
合掌。